大判例

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京都地方裁判所 昭和37年(わ)1700号 判決 1969年5月29日

主文

被告人Aを罰金拾万円に、被告人Bを罰金五万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金五百円を壱日に換算した期間その被告人を労役場に留置する。

押収してある艶本研究国貞(ケース付)一冊(昭和三八年押第一四三号の1)参考資料一冊(同号の2)は、被告人両名からこれを没収する。

訴訟費用のうち、証人亀山巌に支給した分は全部被告人Aの負担とし、その余は、鑑定人滝川春雄、同大野真義に支給した鑑定について各その二分の一を除くほか、全部被告人両名の連帯負担とする。

理由

〔罪となるべき事実〕

被告人Aは、肩書住居において、「有光書房」名義で出版業を営むかたわら、江戸文学、川柳等に興味をもち、自ら「末摘花評釈」等の著書を発行販売するなどしているもの、被告人Bは、つとに江戸文学に興味をもち、特に艶本の類を含む江戸後期の文学を蒐集研究し、昭和二七年ごろからは未刊江戸文学刊行会を主宰し、江戸文学資料等の刊行を続けるなどして著述に携わつているものであるが、

第一、被告人Bは、かねて「艶本研究国貞」を著述し、前記「有光書房」から出版していたところ、右出版にかかる「艶本研究国貞」(以下国貞並製本と略称する)は、江戸時代後期の浮世絵に、二代目烏亭焉馬が文を附し、当時の庶民生活、性風俗を描いた「五大力恋の柵」その他「花鳥余情吾妻源氏」「絵本開談夜廼殿」「今様三体志」なる四篇の艶本を翻刻したものであつて、その文中露骨な性的描写の部分が伏字もしくは要約記述となつていたところから、被告人両名は共謀のうえ、昭和三五年九月ごろ、右国貞並製本の内容は本冊としてそのままとしながら、右の伏字もしくは要約記述の部分につき、その原本を翻刻した別冊を参考資料として添付し、これを「艶本研究国貞」特製本として出版販売しようと企て、同年一〇月ごろ、被告人Bにおいて、右の原本を翻刻して、男女のきわどい性交場面を露骨に表現したもので、性的行為の情景、性器等の描写、性行為の際の卑猥な会話或は淫靡な音声等を露骨かつ詳細に描写記述した原稿を作成し、被告人坂本において、これを別冊に印刷した参考資料として前記国貞並製本と同一内容の本冊に添付し、「艶本研究国貞」特製本(昭和三八年押第一四三号の1、2)として出版したうえ、別表一欄表記載のとおり、昭和三五年一一月上旬ごろより同三六年九月上旬ごろまでの間多数回に亘り、秋田市寺内将軍野一〇六番地の三草階俊雄ほか二七六名に対し、右特製本を一冊二、〇〇〇円ないし二、三〇〇円で東京都小石川郵便局から各その住所等に宛郵送して売渡し、もつて、猥褻の文書を販売し、

第二、被告人Aは、不特定の客らに左記浮世絵を販売しようと決意し、昭和三六年四月ごろ、前記「有光書房」において亀山巌に対し、および同年九月ごろ、大阪市東淀川区小松南道四丁目二二番地原勇に対し東京都内の郵便局から同人方に宛郵送して、春信作雪見娘と若衆、同車上の男女、歌麿作小町曳、北斉作浪千鳥と題する男女性交の場面を露骨に描いた浮世絵複製紙本図画合計五枚宛(昭和三八年押第一四三号の3ないし6)を、いづれも代金五〇〇〇円で売渡し、もつて猥褻の図画を販売したものである。

(証拠の標目)<略>

(法令の適用)

被告人両名の判示第一の所為はいづれも包括して刑法第六〇条、第一七五条前段、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に、被告人Aの判示第二の所為は包括して刑法第一七五号条前段、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に該当するので、いづれも所定刑中罰金刑を選択し、被告人Aの判示各罪は刑法第四五条前段の併合罪の関係にあるから、同法第四八条第二項により各罪の罰金額を合算したうえ、各その金額の範囲内で被告人Aを罰金一〇〇、〇〇〇円に、被告人Bを罰金五〇、〇〇〇円に処し、右罰金を完納することができないときは、同法一八条により金五〇〇円を一日に換算した期間その被告人を労役場に留置し、押収してある艶本研究国貞(ケース付)一冊(昭和三八年押第一四三号の1)および参考資料一冊(同号の2)は、判示第一の猥褻文書販売罪を組成したもので犯人以外の者に属しないから、同法第一九条第一項第一号、第二項本文に則つて被告人両名からこれを没収し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条第一項本文、第一八二条を適用して、そのうち証人亀山巌に支給した分は全部被告人Aの負担とし、その余は、鑑定人滝川春雄、同大野真義に支給した鑑定料について各その二分の一を除くほか全部被告人両名の連帯負担とする。

(弁護人らの主張に対する判断)

第一  判示第一の猥褻文書販売罪について

弁護人らは、被告人両名の判示第一の行為は、刑法第一七五条にいう猥褻文書販売罪に該当しない旨を主張するので、この点について順次検討する。<目次略>

(一)  猥褻文書の概念

(イ) 判例と当裁判所の基本的態度

刑法一七五条にいわゆる「猥褻の文書」とは、その内容が徒らに(過度に)性欲を興奮または刺激させ、かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する文書を指称するものと解すべきである。この見解は、昭和三二年三月一三日宣告の最高裁判所大法廷判決(いわゆるチャタレー事件判決)をはじめ、わが国の判例が伝統的に踏襲してきた定義であつて、いまなおその変更を要すべき合理的理由はなく、当裁判所もまた右の見解に従うものである。

右判例の趣旨は、要するに猥褻の文書として評価を受けうるためには、徒らに性欲を興奮または刺激させること、正常な性的羞恥心を害すること、善良な法的道義観念に反することが必要不可欠な要素とされ、その要件の一つを欠如することも許さないとされているのである。そして、これらの要件を判断する基準は、原則としてこれを一般社会における普通人のそれに求めるべきである。このことは、性欲を興奮または刺激させる点を除いては前記判例の趣旨自体によつて明らかであり、右に除外した点についても、刑法第一七五条の保護法益が、一般社会における性秩序ないし健全な性的風俗にある点に鑑みれば、その基準は前二者のそれと何ら異なるところがないからである。すなわち、文書の猥褻性の有無は、原則として社会一般のいわゆる普通人を対象とし、それに与える興奮、刺激、羞恥感情の程度を基準として、その社会における良識に従いこれを客観的に判断すべきであつて、特定の階層、年令等に局限された範囲における者のそれを判断の基準とすべきではないのである。そして、一般社会における良識すなわち社会通念は、「個々人の良識の集合またはその平均値ではなく、これを超えた集団意識であり、個々人がこれに反する認識をもつことによつて否定するものでない」ことは、前記大法廷判決によつて明示されたとおりである。また、このような判断は、文書自体についてこれを客観的になすべきであつて、それが、著者、出版者らの著述出版の主観的意図によつて直ちに影響されるものと解すべきではない。その文書のもつ客観的な諸価値(科学的、芸術的、思想的価値等)が、その故に、これと次元を異にする概念としての猥褻性を、必ずしも常に否定し去るわけにいかないこともまた多く疑いをいれないところである。

(ロ) 猥褻性の判断と全体的考察

文書が、刑法第一七五条にいわゆる「猥褻の文書」にあたるかどうかについては、その文書の中に、右の「猥褻の文書」に該当する要素が含まれているかどうかを検討し、その部分のみを抽出して判断の対象とし、よつてもつて、文書そのものの猥褻性の有無を判定しようとする考え方は当を得たものとは思えず、そのいわゆる要素の部分を包含する文書を全体として考察し、これをその判断の対象として猥褻性の有無を判定すべきものと解する。

けだし、文書中における性的行為の描写は、それが現実に性的行為の行われた場合と同一の情景を作出したものであつても、本質的に文字による表現形式であることからして、その表現方法、その巧拙、性的描写のおかれている四囲の状況等によつて、読者に与える性的刺激等の程度を異にすることは極めてみやすい道理というべきであるので、その問題部分のみを抽出し、これを部分的に考察して判断の対象とする考え方は、文書としての性質にもとより正鵠をえたものとは称し難い。むしろ、その部分を、文書全体の内容或は形式と関連づけ、その描写の作品中におかれている前後の状況等と併せもたせ、これを全体的に考察することによつて、はじめてその文書自体の猥褻性の有無を正確に把握し、的確な判断に導くことができるものというべきである。その場合に、著者、出版者らの著述出版の意図などその文書に表現されている部分も、またこれが全体的考察の対象となりうることはいうまでもないところである。

(二)  本件艶本研究国貞「特製本」の猥褻性

(イ) 特製本の本冊と別冊の内容

本件艶本研究国貞「特製本」(以下本件文書と略称する)は、本冊と「参考資料」と題する別冊とにわかれている。

本冊の内容は、はじめに「序にかえて」および「なぜ艶本を研究するか」という項を設けて、その著作の目的、艶本研究の必要性等に関する被告人Bの主張等を記述し、ついで「国貞の生涯」および「夜の国貞(その艶本について)」という項で本冊の原本にあたる「艶本」の絵を描いた浮世絵師「国貞」の業績等を紹介したのち、資料篇として「五大刀恋之柵」「花鳥余情吾妻源氏」「絵本開談夜廼殿」および「今様三体志」という題名の四篇の、江戸文化爛熟期の文化、文政、天保のころにおける艶本を、原本より直接撮影するなどした参考写真を適宜挿入しながら翻刻(もつとも変体仮名を現代仮名に改め、句読点、濁点を付し、段落、括弧等を設けるなどしている)して紹介記述したものである。

そこで、まず本冊の主体をなす前記四篇を検するに、その内容は、いづれも男女の恋愛場面を中心として、その前後の模様等を物語り風に描写したものであるが、性交場面などの性的行為に関する直接的かつ露骨な記述のある部分は、挙げてこれを別冊参考資料に譲り、また、当該場面を描いた艶画の参考写真には、局所的削除ないし陰蔽工作を施すなどして、読者に強い刺激を与えないための修正手段を講じていることが認められる。したがつて、本冊に関する限り、その内容については、徒らに性欲を興奮または刺激させ、正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反すると認められるような点は存しないものといわなければならない。

つぎに、本冊に添付されている別冊参考資料を検するに、右は専ら本冊の叙述において伏せ字として省略もしくは要約記述となつている部分を、その原本によつて翻刻(もつとも変体仮名を現代仮名に改め、句読点、濁点を付する等の校訂を施している)したものであるが、その内容は、男女のきわどい性交場面が露骨に表現されていて、性的行為の情景、性器等の描写、性行為の際の卑猥な会話或は淫靡な音声等が露骨かつ詳細に記述されていることが明らかに認められる。

(ロ) 本冊と別冊の関連性と合一的効果

ところで、本冊と別冊参考資料とは、これを物理的にみれば別個の独立した文書と認められるけれども、前示のように、後者は前者の叙述の中に省略された部分等を抜粋収録したものであり、しかも、本冊の参考資料としてその頁数を付しこれに添付して販売されたものであるから、両者を一個の文書として観念し、その余について、これが猥褻性の有無の判断対象とすることは何ら道理に背くものではない。そして、別冊参考資料を、本冊の叙述に照らし合わせて読むことは極めて容易であり、そのうえ、両者を合体して読むことによつて、本冊における物語りの筋書き内容は宗全に復元され、本冊に挿入された艶画の参考写真とも相俟つて、男女のきわどい性交場面の露骨な描写は一層強い性的刺激をもつて読者に迫ることが看取される。しかも、別冊参考資料に収録された抜粋個所はかなり多数に及び、特に、その中の十数ケ所について記述された露骨かつ詳細な性的行為等の描写は、本件文書に対して、極めて強い支配的効果を与えていることが認められるのである。

(ハ) 相対的猥褻性概念への考慮

ひるがえつて、被告人両名の当公判廷における各供述、および本件文書中の「序にかえて」等の叙述内容等を総合すると、被告人らの、本件文書を出版して頒布販売しようとした意図、すなわち、江戸文学の研究に携わるものとして、或はその出版業者として、散逸に近い状態にあたると思われる艷本の数々を、原本にできる限り忠実に再現して保存し、これを世に紹介しようとも考えられた真摯な意図は優にこれを推認しうべく、また、本件文書自体が、それなりに価値あるものとして存在することもこれを窺い知るに難くないのである。

おもうに、凡そ芸術作品、学術書等には、それぞれ芸術的ないしは学術的な社会的価値が存在し、著作者の真摯な芸術的、学術的意図も窺われるわけであるから、かような著作に性的描写の記述がなされているときは、性秩序維持の目的或は性行為非公然性の原則はなるべく控え目に発動することが要求され、それは、当該著作の有する社会的価値を害わず、憲法の保障する表現の自由を抑圧しない程度において行なわれなければならない。かような意味あいから、芸術作品、学術書等においては、当該文書の有する社会的価値に対応して、いわゆる春本の類と異なり、頒布、販売の方法等当該文書の置かれた背景の如何によつては、その文書が或は猥褻性を帯び、或は猥褻性を帯びない場合の生ずるとも考えうるわけである。すなわち、当該文書の著述の対象者、著作の価値ないしはこれに対する一般的な評価、広告、販売の方法、発行部数等により一定の読者層もしくは読者環境が設定されこれら読者層ないし読者環境の水準が高く、当該文書に記載されてある性的記述に対して、専ら芸術的、学術的な鑑賞または探究がなされ、卑俗な性的興味本位の読書が追放されることが保障されるならば、文書の猥褻性は生じないものと解することは、あながち不当でない場合もあるのではなかろうかと思惟されるのである。

しかるに、被告人坂本篤は、本件文書の販売にあたつて、その特製本の内容に関する事項をかなり詳しく紹介した「内容見本パンフレット」を、同被告人の経営する有光書房得意先名簿にもとづいて約二、五〇〇名の者に配付し、或は大阪産経新聞、大阪毎日新聞、京都新聞等の一般商業新聞等にその広告を掲載して、広く一般から購入者を募る等の方法をとつているばかりでなく、その購入を申し込んだ者に対しては、販売の対象者を選別することとなく、その註文に応じて本件文書を送付販売しているのであり、(被告人林美一はこれらの事実を未必的にもせよ認識していたものと認められる)現に、右のような過程を経て本件文書を購入した者をみるに、その職業は、医師、教員、会社員、僧侶、学生、商店主、店員、農業等さまざまにわたり、その年令も当二一年から七三年までに及び、加えて、その学歴も小学卒業から大学卒業までを含み、本件文書のテーマである江戸艶本或は江戸文学一般等にさしたる趣味または学問的興味を有していないと認められるような者も少なからず存しているのであつて、これらの諸事実に鑑みると、著述自体の対象者、著作の価値ないしはこれに対する評価はさておき、本件文書につき、その読者層もしくは読者環境が自ら限定されていたものとは到底認められないのである。されば、本件文書の著述対象者等前示の各基準は、本件猥褻文書販売罪の成立に何ら影響を及ぼさないものとして考慮の外におかなければならない。

(三)  結論

以上説示したところを総合すれば、本件文書はこれを全体として考察すると、その内容が徒らに性欲を刺激興奮させ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものと解すべきであつて、かような文書を前示のような状況のもとに出版販売した行為は社会的に許容される限界を越え可罰性を有するものというべく、結局被告人両名の行為は刑法第一七五条にいわゆる「猥褻の文書」を販売した罪に該当するものといわなければならない。弁護人らの前記主張を容認しえないゆえんである。

第二  判示第二の猥褻図画販売罪について

被告人Aは、判示第二の行為は、特定少数の亀山巌、原勇に対して販売したものであるから公然性がない旨を主張する。

しかしながら、被告人Aの当公判廷における供述、証人原勇の供述記載、被告人Aより原勇宛封書(昭和三八年押第一四三号の32)、受註簿(同号の10)等によると、被告人Aは、原勇に本件猥褻図画を販売するに先立ち、さしたる知友関係にあるとも思えない同人に対し、通信を利用して同人の猥褻図画買受けの意向を打診していることが推測され、また、そのころ本件外にも、単なる購読者であつて面接したことのない水谷新助に対し、判示と同様の艶画三枚を代金一、七〇〇円で販売していることが認められるので、これらの事実に、被告人Aの前示営業の内容等を照合して考察すると亀山巌および原勇に対し、本件猥褻図画を販売した行為は、被告人Aが、不特定の者を対象として反覆継続する意思のもとになされた有償譲渡行為と認めるのが相当である。被告人Aの前記主張はこれを採らない。よつて、主文のとおり判決する。(橋本盛三郎 石井恒 那須彰)

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